2014/05/24

ヨハン・ゲオルグ・アウグスト・ガレッティはかく語りき

「不幸とは、何かおそろしいものをもたらすもののことである。死は不幸ではないから、おそろしい何ものももたらさない。故に死は不幸ではない」と。1800年ごろのドイツの歴史学者・地理学者の言葉です。すっごく深いですね


・・・タイトルのガレッティの言葉ですが、なにか気づきませんか?「死は不幸ではない」を2回繰り返しているだけで、まったく「死≠不幸」の図式になってません。これはわざわざ強調で言ってるわけでなく、実は単なる失言なのです。

本当は別のことを言いたかったのでしょうが、いかんせんこの方の発言について正しいことを期待している生徒が皆無であったので、本当は何を言いたかったのかは今になってはわかりません。訂正しなかったのかもしれません

ガレッティは別に歴史的に大きな発見をしたわけではなく、数々の失言で知られています。「像は世界最大の昆虫である(像の足は4本です)」とか「クリスティアン7世は生まれたとき、さほど老けていなかった(誰だってそうです)」とか「ヨーロッパからアメリカに渡った鉱物のうち、とびきりのものがジャガイモである(最初から最後までツッコミどころ満載)」とか

twitterでガレッティの言葉をボソボソとつぶやいているアカウントがありますが、読んでたらわけがわからなくなってきます。そのうちゲシュタルト崩壊を起こしてきて、なんだか正しい事柄に思えてくるかもしれません。むしろガレッティは正しいかもしれませんガレッティ先生ばんざーい


なにもかもが正しいガレッティのはただの失言ですが、「死は不幸か」という問題を定義するのは難しいのです。これに対しては昔の人々は神や極楽浄土なんかを引き合いに出して、解決を図ろうとしたのでしょう。正しいか正しくないか、役に立ったかどうかは別にして


つい最近はじめて担当患者さんの看取りを体験しました。数ヶ月間苦しい治療を続けられ、最期に看取りの方針が決まってモルヒネを使い始めてから、息苦しさを訴えることはほとんどなくなり、最期は夜中に少しずつ全身の酸素化が悪くなって、朝方静かに息を引き取りました

最期の表情はまったく穏やかだったのですが、いまだに色々と悩まされることがあります。最期はモルヒネとドルミカムを使って訴えなくなっただけで、ホントは苦しいのではなかったかとか、鎮静がこの方の望んでいたことだったのか、心の何処かでは完全治癒を望んでいたのではなかったのだろうかとか

もっと言えば初期対応が良ければ、元気に退院出来たのではないだろうかとか、最初から見込みがなかったにせよ、元気に語られるうちにご本人から希望を色々聞き出しておけばよかったとか、ただ単に苦しい期間を長引かせただけでなかったのか、どこからどこまでが自分のエゴであったのかとか

お亡くなりになった今となっては、「死」がその患者さんにとって不幸でなかったのではないかということなんてわかりません。ただできることはご冥福を祈ることと、これからの患者さんに対しては不幸を感じさせないにはどうするか考えることぐらいです


最後にガレッティの迷言をもう一つ、「カール大帝ともどもシャルルマーニュもまた死んだ」。実はカール大帝もシャルルマーニュも同一人物なのですが、どんなに歴史上の偉い人物でも死は避けられないのです

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